徳谷柿次郎のクラフトインターネット日記

片道12時間かけて飲み会に顔出したら死んだ

朝起きたら北陸新幹線のトラブルでダイヤが乱れてるというニュースを見た。長野から東京に出張してる人は大変だなぁと、長野市のコミュニティオフィス「MADO」の雑談部屋に情報を投げ込んだ。ここまでは他人事だった。

18時までに京都へ行かなければならなかった。京都のうるさいファンキー不動産おじさんこと川端さん企画の新年会のためだ。「柿次郎〜〜!全国からいい魂集めたから来てよ!」と言われたのは12月半ばぐらいだっただろうか。毎年誘ってくれていて今回で三度目。さすがに軽い腰をあげて快諾した経緯がある。

家を出た。長野駅から名古屋方面に特急しなので3時間ルートが鉄板だったのだが、駅構内に入った瞬間に「あ、これ無理だな」と悟った。日本人よりもインバウンド観光客の外国人が我先にと特急しなのに乗り込んでいて、3時間ギチギチの立ちっぱなしは無理ゲーすぎる。状況把握のためにも一度外に出て情報収集してみるが、北陸新幹線の回復見込みは立っておらず、全ルート途絶えたと思った。

しかし、途中で高崎⇔金沢の北陸新幹線復旧の報が出る。「出るなよ」とも思った。完全に途絶えたら諦めがつく。仕方なく18時頃の長野→金沢 北陸新幹線を予約して乗り込み、金沢からサンダーバードで京都まで行くことにした。この判断も振り返ると微妙だった。

いろんな理由ですぐに止まることで有名なサンダーバード。まず乗り換えてグリーン席に腰を下ろした直後、福井あたりの踏切内に車が立ち往生して発車できないアナウンスが流れた。まじかよ。ようやく発車するまで60分。このまま無事に動いてくれ!と神に祈ったら、今度は鯖江駅に着いたタイミングでまさかの停電。グリーン車の車掌席裏に座っていたため、車掌の「やばい停電だ。これはやばい」みたいな声が車内に漏れてくる。

なんやかんやで130分遅延。大作の映画1本分だ。もはや諦めの境地だった。新年会がいつまで続いているかわからない。13時に家を出て、京都駅に着いたのは深夜0時半。片道12時間の旅路だったが、熱波のインドで乗った地獄みたいな3等車の体験を思い出して「OK、あれよりは全然マシ」と気持ちを切り替えたのである。

タクシーに乗って祇園へ。指定されたスナックの扉を開けると20人以上の髭面のおじさんがギチギチに詰まって、狂気のカラオケ大会が盛り上がりのピークを迎えていた。メガネは一瞬で曇って何も見えなくなり、それまで無音と絶望の電車内にいたため、テンションの温度差で頭が真っ白になった。

「柿次郎歌えよ!」とマイクを押しつけてくるおじさん。うるせえ。とりあえず瓶ビールを飲み続ける。タバコを吸う。周りを眺める。ああ、これがおれの居場所か。人生の縮図のように癖強いおじさんがおれを囲ってくれる。無理やりギアを入れて、久しぶりの人やはじめての人と挨拶を交わしながら、そのまま朝まで飲み続けた。せっかく誘ってくれた場だ。意地でも楽しみ死んでやる気持ちが大事。もちろん体力を削る行為であるのは間違いない。

本気の京都の寒さに襲われて、翌日もあちこちお店に顔を出しながら滞在を楽しんだものの、帰路も1時間遅れで家まで6時間ぐらいかかった。言うまでもなく人生で一番遠い飲み会の参加だった。反動で風邪をひいた状態でこの日記を書いている。絶対、寝たほうがいい。

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