徳谷柿次郎のクラフトインターネット日記

能登半島・珠洲市「あみだ湯」ボランティアと取材の備忘録

2024年5月6日〜7日、greenzの植原正太郎くんのお誘いで能登半島・珠洲市に行ってきた。ボランティアの気持ち半分、ジモコロとしてのメディア発信の役割が半分。元旦に起きた地震は、わたしが住む長野県・信濃町で震度5弱だった。この揺れを感じるか否かで印象は大きく変わるだろうと思う。

信濃町から車で約6時間。心理的な距離は近いけれど、身体的な移動距離はしっかり遠かった。金沢駅周辺でgreenzチームと合流し、ガタガタの道路を通って現地に向かう。

いわゆる「ちんさむ」的に車体が浮くバイーンの感覚が何度もあり、スピードを出しすぎて「このまま吹っ飛ぶのか!?」と錯覚するぐらいの衝撃も正直あった。気をつけて運転するのはマストで、それなりに神経は使うことは伝えておきたい。荒廃を象徴する藤の花が山を包みこんでいて、その後に倒壊した家屋がそのままにされた風景が続く。

民間ボランティアの受け入れは珠洲市の「あみだ湯」を営む新谷健太(通称:しんけんさん)だった。そもそも公的なボランティアの受け入れは登録が優先で、そこから現地に入れるのは少数。地域によっては抽選にもなっているらしい。それもそのはずで、インフラの復旧が最優先かつ、家屋の倒壊に関しても素人が安易に踏み込める領域ではない。水道が復旧しても家に引き込むコストと作業はまた別の力学が働くため、前のように暮らせる環境ではないそうだ。

幸い「あみだ湯」は地下水と薪ボイラーの有事に強いクラシックな銭湯だった。解体した建物の木材を受け入れて、巨大なボイラーでどんどん湯を沸かしていく。一部、排水は壊れたままだったが、コミュニティとして日々の疲れを癒やし、心を洗ってくれる銭湯の機能がいかんなく発揮されていたのは美しい光景だった。

もちろんそのシステムを動かしているのは人間だ。ボタンひとつの世界ではない。しんけんさんたちがフィジカルを駆動させて、高校生たちの居場所をつくり、近隣の方々と細やかな配慮と笑顔で身体的情報を交わし続けたからこその現在である。容易なことではないと思う。それでも、この土地で生きていこうと懸命に抗い続ける人たちが放つエネルギーは、人間性のポテンシャルそのものだと感じ入ってしまった。

被害は甚大で、公的な復興のエネルギーは正直追いついていないようだ。県外のニュースや新聞、SNSの情報だけでは処理できないような現実が放置されている。復興が進まない理由は腐るほどあるのだろう。

第一に受け入れる宿がないこと、起点となる金沢駅周辺まで車で3時間近くかかることは、バケツリレー的に人員を動かすことの障壁になっている。幸い我々は「あみだ湯」の二階に寝させてもらえた。お風呂もある。スーパーやコンビニも近所で営業していて、18時までは飲み物、食料は確保できた。それでも迷惑をかけたくない気持ちが不安につながって、余計に買い込んでしまったのも事実。このあたりの肌感覚は現地に行かないとわからないし、3ヶ月後にはまた様相が変わっていてもおかしくない。

ボランティアの意気込みがあっても受け入れる側のリソースがなければ無力になる。いや、微力だと信じたいが現実的にはあまりにも受け入れ側の負担が大きいなと感じてしまった。そもそも安全は保証できないし、大きな余震があれば被災者にもなりうる。

「自らの命を自ら守る」

この言葉の中に込められた知恵と道具の準備は、普段の都市生活では得にくいものだと思うし、避難先を案内してもらったときに改めて地震のリスクを想像してしまった。アウトドアひとつとっても現地に行けばなんとかなるだろうの価値観は拭えないし、常に最悪を想定した準備は経験に基づいた想像力の引き出しをガサガサ開けなければ見えてこない。

ボランティアは遊びではない。だが今回の1泊2日の時間を通して気付いたのは「誰よりも楽しむこと」だということに至った。辛気臭い無力さを放っても何もことは進まない。震災から4ヶ月経った今だからこそ、メディアとして、ひとりの編集者として、会社の代表として楽しみたいなと思った。

みんなで銭湯内の清掃掃除を集中して取り組んだ2時間は、精神と時の部屋なのかな?と勘違いするぐらいに澄んだ体験だった。仏教的な「掃除の心得」が大好きな私にとって、みんなが気持ちよくお風呂に浸かれる環境を整える作業はとても楽しい。やった分だけキレイになる。こんなシンプルなことはないし、普段パソコンを触って情報発信に触れている参加者も黙々と手を動かしていた。

Huuuuの新卒であるさいとうさん(現:ふろめぐみ)は銭湯をやりたくて、20代前半の5年間を銭湯に差し出している即戦力。腰を入れたデッキブラシの使い方、現場の指示出し、お湯の流し方、周囲への気配り、番頭での振る舞い……どれも自信のもった行動でチームの中で一際輝いて見えた。気づいたらまわりから「番長!」と呼ばれ出したのもおもしろすぎる。

夜は全国でかき集めた推しの酒をお土産に持っていったので、グイグイワイワイとみんなでお酒を飲んだ。合間でしんけんさんたちとタバコを吸う。必要なものは数あれど、嗜好品が提供してくれる時間は世界共通なんだろうなと思える。気づいたら深夜1時半。当初の無力さはどこへやら。ただ同じ場所で同じ空気を吸って、なんでもない話をするだけで役割は果たせるのかもしれない。

能登半島の気候は北陸特有の曇りがちな天気かと思いきや、雲が流れていくのか島国の気持ちよさが要所要所で流れ込んでくる。全国の半島に共通する圧倒的な自然のパワー。歴史背景を考えてもこの土地で暮らすことが、一番の生存戦略だったのだろう。

なぜ現代的×都市的な視点で、一方的に「不便」な価値観を押しつけて物事をはかろうとするのだろうか。慣れ親しんだ土と水がある。長く紡がれてきた土地の歴史がある。自分の命は自分で守るために、この豊かな能登半島で暮らしてきた人たちの想いをほんの少しだけ感じ取ることができた。こっちのほうが死なないんだよ。

人間が人間の可能性をなめているなと思う。アスファルトに囲まれた空間で脊髄反射の批判に手を染める前に、現地を訪れてほしい。SNSに純然たる正解は転がっていない。当事者ではない人たちの社会的不安を肯定するために利用される側面もあるだろう。まずは自分の目で現実を捉えて、じっくりと足を運んで、謙虚に手を動かす。頭でっかちな情報社会が生んだ歪みは、こういった有事に化け物となって姿を現すような気がしてならない。

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