徳谷柿次郎のクラフトインターネット日記

新年一発目の仕事は試される大地「道東ツアー」

北海道の東側エリア「道東」。2016年10月末にジモコロ取材で訪れてから縁が生まれて、これまで6回ぐらい旅をしている。取材をすることもあれば、純粋な遊びで行くこともある。

未知の領域を開拓するような楽しさもあれば、冬の厳しさと広い大地の物悲しさに触れることもあって、入植の歴史から現代に生きる人々の暮らしまで想像を巡らすことが多い。

きっと移動距離が関係しているのだろう。便利に慌ただしくA地点からB地点に移動することはできない。今回の目的は一般社団法人ドット道東が手掛ける『DOTO-NET』のキックオフイベント。信濃町から長野市まで車で移動し、北陸新幹線で東京前乗り。翌朝、羽田空港から釧路空港INしたら、友人でもあるドット道東代表・中西拓郎くんが車で会場の浦幌町「トリノメ商店」まで送り届けてくれた。

道東エリア全域、東京、長野から約30名が、このイベントのために集っていた。みんな等しく遠い。それでも集まる。何度もこの光景を道東で見ているが、試される大地において「この場に足を運べば、人生の何かが変わるかもしれない」といった希望を抱かせる場が持つ引力は尋常じゃないのだろう。

人と場の希少性。どの土地に暮らすかどうかで感じ方は大きく変わる。そこにたどり着くきっかけや方法も全員が知り得ることは残念ながらない。それでも泥臭く、毎日、SNSだけでなく、リアルな口コミやフライヤーで呼びかけ続ける。

「このイベントはあなたのために開かれるものです」

拓郎くんの告知スタイルは、全国で群を抜いて泥臭い。今回のイベント告知は95日連続投稿に挑んでいた。毎日告知で塗り固められるSNSのフィードは、毎回文章を変えているという。数年前に比べてイベント集客は難易度が上がっている。エコーチェンバーでアルゴリズム的に都合のいい情報しか目に飛び込んでこない。それでも毎日告知し続ける拓郎の姿勢は揺るがないし、呼ばれた側としてはその心意気に応えたくなるものだ。

イベントが終わっても旅は続く。浦幌から釧路のサウナ&クラフトホステル「THE GEEK」へ。釧路湿原の美しい光景を眺めながら楽しめるサウナと水風呂は、とてもいい体験だった。細やかな心遣いが嬉しい接客で宿としてもすばらしい。釧路から車で30分の距離でこんな大自然があるなんて。自分の住んでいる信濃町と長野市の距離感と似ていて、「町から車で30分の大自然最高説」を唱えたくなった。


その後も強烈な体験が続くわけだが、すべてに触れて書き進めると気軽な日記のボリュームではなくなってしまう。いつも文字に書ききれない量の体験と情報を浴び続けて、咀嚼する間もないまま、次のハードな旅に移行してしまう厄介さがある。

2年ぶりの道東は少し景色が違って見えた。自分の物差しが変わったのだろう。信濃町をアイデンティティに置いて、道東と触れ合ったときに「乾燥していて雪質がとても軽い」「空の広さと光のグラデーションが違う」「寒さの質もぜんぜん違う」など、過去に訪れたときよりも自然観の比較が増えた。隣の芝生は青く見えるもので、同じ雪国でもその差異により惹かれるようになったといえる。

これまで精神的に遠い土地だと感じていたが、今回は隣の距離感で見つめることができたのは大きな発見だ。車の移動中に窓の外をぼーっと眺めながら、「もし自分が道東に住むならどうなるだろう」を時折考えていた。もしもを考えたら、町の経済バランスとサイズ、圧倒的な温泉力(モール泉!)、食料自給率1200%の帯広が有力かもしれない。

特に帯広の「アサヒ湯」はやばい。美容液のプールであり、地球の体液そのものというか。毎日通って浸かるだけで健康寿命が10年ぐらい伸びると思う。数年前にはじめて入ったときは、泉質のあまりの強さに30分ぐらい動けなくなった。あれは湯当たりだったのか。自分の中にある毒素が過剰反応を起こして、強制的な休憩を身体が欲したような動けなさだった。

道東はとてもおもしろい。人よりも自然が多い。本来そうあるべき姿がここにはある。その一方で情報格差や中央との距離感でジレンマを感じる側面も。意味のない比較の呪いを受けてしまった現代人にとって、幸せの基準を他者に委ねてしまう性質はとても儚い。淡々と目の前の「生」を噛み締めていれば、どれだけシンプルなものか。己の現実を束ねて、揺るがない自信を獲得しなければらない。

試される大地。そこには容易に寄りかかれる基準はない。自分の足だけで立たなければならない。

「人間は自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない。しかしそれは考える葦である」

哲学者・パスカルの言葉が、道東の在り方に相応しいと思える。

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