刺激に伴う感覚というのは常に麻痺してくるものだと思うが、飯綱町「パカーンコーヒースタンド」に併設している倉庫にクラフトプレス3500冊が届いたフィジカルの重量感は慣れることができない。
むしろこの物質の重みを感じるために出版沼の道に足を踏み入れたのかもしれないなと思う。大きなトラックで運ばれて、パレットに積まれた本の束は物流、流通、倉庫を含めた出版ロジティクスの結晶なのかもしれない。
出版不況、本屋不況と言われて20年ぐらい経ってる気がするものの、年間約7万点の出版物が日本国内で発行されている。1日200冊。大量の出版物が倉庫から本屋に運ばれて、日々誰かが買い求めているのは異常だなと思うし、翌日に届くAmazonの革命はとんでもなかったんだなとようやく自覚できてきた。
世の中の大半の著者は、この仕組みに関与することなく、本屋の売れ行きを見守り続けるしかない。いくら出版イベントを自腹で開催して50人を集めたとしても、在庫は何千冊もどこかに積まれているのである。この微力さをどう乗り越えるか。自ら本を書いて作り、キャッシュのリスクを負う。さらに倉庫で在庫を抱えて、売り運ぶことが強い祈りになると私は信じている。
誰もがやりたがらないことに価値がある。その価値観を我が物顔で保持して、軽快に小石程度の後悔を感じながら、全国で行商していくことの強度はやればやるほどに高まるんじゃないだろうか。
いつ破綻してもおかしくないギリギリの綱渡り。浅瀬で溺れろ!が人生のひとつの教訓になっているが、気づいたら膝から腰まで危険水域が上がってくるかもしれない。命綱はあるのかないのか。五感のセンサーを信じて突き進むことが、本能を磨くことにもなる。
先日、友人の岡野春樹くんとPodcastを収録したときに「柿次郎さんは川の流れに自ら飛び込んで、固くなったり、柔らかくなったり、独自のバランスで突き進むのが見ていておもしろい」みたいなことを言われて、「たしかにな」と思った。おれにはウォッチャーが多い。その危うさと大胆さみたいなものを常に楽しんでいたいので、「よくやるな〜」とSNS越しに笑われても大歓迎だ。
実戦経験の少ない「賢者」ヅラした人間よりも、思想と実践の反復横跳びを誰にも言われず繰り返すような「愚者」に私はなりたい。無知の突破口は、社会の風穴に気づけば吸い込まれる。そこでどう踊り狂えるのか。冷静と狂気を使い分ける訓練をしておかないと、社会の理不尽に食い尽くされるであろう……なんだこの仙人みたいな予言は。
というわけで『編集の編集の編集!!!!』(1500冊)、『いきなり知らない土地に新築を建てたい』(2000冊)、そして重版の『都市と路上の再編集』(2000冊)を抱えて2025年を締めくくりたいと思う。動かぬ在庫に意味なし。死人に口なし。2026年は作り上げたクラフトプレスを物理的に動かして、合計5500冊に息吹を与えていきたいと思う。
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