師走の風は容赦なく吹き抜ける。
朝8時になんとか起きて、横浜へ向かった。お仕事で引き受けた小田急、京王、京急合同のプロジェクト『NATURE DAYS PROJECT』で司会をするためだ。自分で言うのもなんだが、台本のないトークイベントの司会に定評がある。
過去の経験値によるものだが、一本の仮説から押し引きを考えて、真面目な部分と崩しの部分をミックスして展開するようにしていて。それを知ってから知らずか。HOME WORK VILLAGEで出版記念イベントを行った書籍『都市と路上の再編集』が運んでくれた仕事みたいなものだった。
Hakone Mountain Ripperの鈴木さん、高雄ビールの池田さん、Cinema Caravanの志津野さんという初対面の先輩三人を相手に「地域にカルチャーは作れるのか?」という難題でトークを繰り広げた。事前打ち合わせをしっかり行ったこともあってなんとかやりきることができた。とにかくオープニングアクトの空気を作って、次のセッションにつなげる。合間に本を売る。二毛作スタイルで夕方まで役割を終えたら、そのまま東海道新幹線に飛び乗って京都へ。
詳細はあえて省くが、京都に流れで友人たちと飲んだら早朝からの疲れもあって0時頃にゲロを吐いてダウン。早々に死んでしまった。翌日が滋賀県大津でのトークイベントだったので、前乗りで大津に泊まるのも悪くないが、最近経営でいろいろあったので経営者同士の深淵なる話をしようかと思ったら、いつものヒゲおじさんたちに囲まれて、優しく殺された。おれはそういう人生なのかもしれない。
翌日なんとかセルフ蘇生を試みて、電池切れのエヴァンゲリオンみたいな身体の傾きに違和感を覚えながら、三条京阪駅からびわ湖大津駅へ移動。はじめての列車は少しテンションが上がる。地下鉄に乗っていたはずなのに、大津に入ったら地上のレール電車に切り替わっていて驚いた。なんてスムーズな変化なのだろう。しらない土地に降りて、しらない道を歩く。
過去の歴史的建造物と上書きされた新しい豪華な建造物が交互に登場するので、不思議な町だなと思った。京都や大阪のベットタウン需要で人口増になっているエリア。地場産業と京阪神の商業圏が絶妙な立ち位置を作ったのだろうか。わかりやすく見えない経済力とボトムアップな動きの立ち上がりがまだ連動しきっていないのかな?と勝手ながらに考えながら歩いていた。愛知県の岡崎市に少し似ている。
本番のイベント会場は、THA BLUEHERBのBOSSが今年トークイベントを行ったという『スパイスランド ポンセ』さん。鳥肌実やSADSのポスターも貼られていて、この大津という土地でカルチャーに根を張った骨太な痕跡が目に飛び込んできて痺れる。ランチ終わりかけで駆け込んだカレーもとてもおいしかった。ありがたい出会いに感謝しかない。
こうやってひとつの土地に通い続けることで、縁が重なっていくことがある。要となっているのはここ5年ぐらい意識的に通っていた京都の影響が大きい。
まずはbank toの光川くん。さらに何度も仕事をお願いしている文筆家・土門蘭さん。亀岡や京都のイベントに遊びに来てくれたETWAS NEUESのミカシさん。それぞれで出会って、それぞれで重なった結果、今回の座組みでの出版イベントが開催された。予約開始したばかりの『編集の編集の編集!!!!』的な流れだなと個人的には捉えている。光川くんの編集に身体を預けて、その場で踊ればいい。大人の仕掛けあいは、結果帳尻が合うことが多いのでとてもやりやすい。
土門さんが素晴らしい切り口の司会をやってくれたので、トークは大盛況といっていいと思う。盛り上がった。ウケたウケた。出版と子育てと滋賀の話。要素がとても多いように見えるけれど、実はどれも繋がっていて、横断した会話の中に「育てる」という共通項が見え隠れする時間だった。これも土門さんの問いがあってこそ。
問い/問われて、しっかり答えられる大人であり続けたい!新作2本の小ネタもウケたので自信をもてたし、みっちゃんのゴムのくだりからより熱が生まれたなと思う。拾っていじって例えて、また時間差で蒸し返す。こういう関西ノリがハマったときは改めて大阪の血を感じてしまう。
現場にはジモコロでもお世話になっているBUBBLE-Bさんことバボさんの姿や高島から駆けつけてくれた編集者の藤本さん、しゃかいか!の加藤さんなど、30人強が集まってくれた。半分以上がそのままポンセに残って夜まで飲み続けたそうで、お店にも還元できて二重丸すぎる流れは見事。ミカシさんの滋賀での信頼と希少さ、そしてイベントの成功が残留経済につながるんだなぁ。
そもそも滋賀でこういったトークイベントをやる機会はあまり多くないらしく、「これも柿さんがイベントやろう!と言ってくれたおかげ」と言われて、利己的な全国行脚が生む巻き込みエネルギーも悪くないんだなと実感できてよかった。
しかし、なぜ2日連続でイベント登壇を計画してしまうのか?おれはバカなの?
横浜から大津は、一回信濃町に戻る世界線よりも、横移動の新幹線の方が圧倒的にラクだと判断しているからだったけれど。それでも移動は堪える。娘の体調不良による深夜対応で寝不足、横浜で6時間近い緊張感のあるイベント仕事をこなし、2時間半かけて移動して、直行して飲み会に参加する。これは本当にラクなのか。むしろハードな気がしている。
想定外だったのは、大津でのイベントが15時半スタートでそのまま深夜まで飲み会が続くこと。19時からスタートすれば0時に終われば5時間で済むが、15時半からスタートすればさらに3時間半追加されるという罠があった。人間の欲望は果てがなく、終わりの時間は変わらないのである。てっぺん地獄。「この流れはやばい」と22時頃に気づいてしまった。
土地を新しく移すたびに元気が新品の人が現れて、2日目、3日目の中古元気のおれは瀕死。腹は下して、足はふらつく。今回は同じく2日目の猛者が言い訳を打ち消すように駆けつけた。ファンキー不動産の川端おじさん、アメ車ヒョードルの古賀ちゃんだ。
この二人は京都に行くたびに飲んでいる仲良しなのだが、同時に「妖怪 夜べらし」の顔も持っていて大体の飲みは深夜3時まで続く。おれも妖怪夜べらしの仮面をかぶることはある。でも今日は無理。途中、うますぎるうなしゃぶを挟んで身心が満足して、お疲れおやすみモードになっていた。信濃町→横浜→京都→大津の流れよ。
案の定、0時に帰ろうとしたら妖怪夜べらしは騒ぎ立てる。囃し立てる。嘘をついてスナックに連れ込もうとする。とても恐ろしい。「あと一杯だけ」の時間軸は30分ではなく、実質は1時間なのだ。あと一軒はもう3時間。
そこで2025年で一番本気の「おれは絶対に帰る!」を発動した。覚悟を携えて。目を血走らせる。
妖怪夜べらしを罵倒して、手をふりほどき、帰りの車に逃げ込んだ。ほぼゾンビ映画の光景だった。
翌日は滋賀の湖西エリアを朝から案内してもらう大事な時間が控えていたし、道連れにした若手もいる。みっちゃんもヘロヘロだ。
ヤクザの世界と同じく、妖怪夜べらしの世界から足を洗うのはまったくもって容易ではない。因果応報。誰かの夜を減らした分だけ、自分の夜は減り続ける。それでも、できれば夜を増やして、朝も増やしたい。
……あれ、つまり、夜を減らすと、朝も減るってこと??
絶対早く帰って寝たほうがいいじゃねえか。体力には個体差があるので、同じ夜を過ごしても翌日の回復率は違う。だってアルコールは楽しい毒だから。毒を飲み合う儀式だとしたら、そりゃ世の中の飲酒量は減っていくよなと思う。
今度からガチの清めの塩を持ち歩いて、夜に引きずり込まれたら塩を投げつけよう。妖怪にはめっちゃ効く気がしてきた。あと熊用のスプレー。
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