徳谷柿次郎のクラフトインターネット日記

新しい趣味としてのイベント企画

毎週のようにイベントを企画している。もはや趣味にしたい。仕事にしすぎるときつい。思いついたら口にしてしまうし、その新しい旗は「やったほうがええやん」に限りなく近い。出版×トークイベントの関係性が生む静かな熱みたいなものは、このご時世に侮れない力を持っているんじゃないだろうか?と考えてみたい。

まず場所との関係性が刻まれる。本屋でもローカルのスペースでも飲食店でも同じ。店舗側の視点で考えても、イベントにかける思考時間はとても長く、企画確定から集客、本番のライブ感までの流れは総合格闘技的な装いがある。

SNS告知がメインの情報戦。そして本番のトークは身体性が伴う。基本フリートークで話していくため、その場のお客さんの層と反応を見ながら場を盛り上げていく必要がある。とにかく、おもしろくしたい。何度でもウケたいとすら本気で思っている。ウケるためにトークイベントをやっていると言っても過言じゃないのよ!

新たな関係性を持ち込むこともあれば、兼ねてからのお付き合いのある人とトークすることもあって、ここでの展開の読めなさと始まらないと方向が読めないのも痺れる。適度な緊張感。そして脱線したときの解放感。この行き来をどれだけ小気味良くできるかが勝負の要なので、マイクの数やスピーカーの反響も重要なんだよなとあらゆる会場で気にしてしまう。

イベントの正解はないけれど、観客の反応がそのまま本の売上につながるため、愛想とサービス精神でいつも振る舞う心構えでやっている。わざわざ足を運んでくれた人への感謝はいつも湧き出てくるし、さらに本を買ってくれるなんて最高の交換様式だなと思う。時間と心と金銭。どれも差し出し合わないと、その瞬間は成立しないのだから。

だからイベントをやり続けてしまう。楽しいから。面白くしたいから。生身の感情と徳谷柿次郎という人間を差し出したいからだ。AI時代に真っ向から対抗すらための泥臭い行商編集者の徒花にならぬよう、ウェブから這い上がってきた人間としての矜持を示していきたい。

だれもやらないような、面倒くさいことを真っ当にやるだけなんだよなとマジで思う。楽してすぐに答えを欲しがるような大人が増えてきてるからこそ、過剰なまでの寄り道と思い込みからの逸脱に宿るパワーをおれは信じる。

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