徳谷柿次郎のクラフトインターネット日記

娘が1歳になったからアーカイブ

10月25日に娘が1歳になった。妻の実家・函館から家族が信濃町まで来てくれて、連日の賑やかさ。「1★HAPPY★BIRTHDAY★」とチョコボールの金銀みたいな風船を壁に貼り付けて、赤子でも食べられる手作りケーキとともに撮影タイムが行われた。

父にとっての娘も素晴らしい存在だが、それ以上に初孫という存在の輝きは黄金をはるかに超えているのだろう。脳が完全に支配されている。令和においての「血」は疎ましい概念かもしれないが、人類史においての血=DNAが引き継がれる喜びは本能を刺激する。祝祭を煮詰めたような時間だった。

30歳を超えたあたりから誕生日の喜びは年々薄れていくものだと思っていたが、1歳の祝祭から続く延長線の世界だと考えると腑に落ちる。生まれてきてくれてありがとう!であり、その喜びをわかちあった家族というグループが同一の思考性をもって一体となる……そりゃ大事だ。過去から未来へ世界はつながっていく。家という役割がこれからも続くであろう安堵とともに、ひとつの族となるのかもしれないトライブ感がたしかにあった。

その日の夜、妻とPodcastを収録した。少し前の思いつきでもあったが、互いの一年を振り返り、10年後、15年後、20年後のどこかのタイミングで娘にまとめて毎年収録したカセットテープを贈るのは我ながらいい企画だと思ったからだ。あっという間の60分。ただのメッセージではなく、この時代における社会背景と個人として考えていることや現在の状態を記録しておいた。

時間は有限だ。命は一度きりだ。年のためデジタルにも保存しておいて、いつかアクセスできる予防線は張るつもりだが、フィジカルのカセットテープという10年後に再生できるかもわからないアナログに思いを託したい。だって、当たり前にいつ死ぬかわからないから。

世の中に文章や写真、言葉、映像を残しているタイプでもあるが、あなたのことを考えて両親が話した言葉をみずみずしく真空パックしておきたくなったのは、この行為を10年以上続けた果てにある娘の感情を想像できたからだ。

ひとりの人間として反抗期を迎えようが、社会が激変して厳しい世界を生きようが、そんなことは知る由もない。過去から未来に向けて残せることは、無邪気な今でしかない。今に対して正直な気持ちを書き綴ることもするし、Podcast中毒症になった2025年だからこそ気軽に音声を残せるなんてとてもいいなと思う。

オレンジワインをグビグビと飲み干して、セブンイレブンのスナック菓子「エアリアルコンポタージュ」をむしゃむしゃと食べている咀嚼音も記録されているはずだ。10年後に向けてアフリカ旅行の貯金をしようと話した。そのために筋トレもしないといけない。ロングフライトが苦手な自分にとって、アフリカは「乗り継ぎ込みで20時間ぐらいかかりそう」なイメージで止まっている。家族で生のカバを観に行く目標は、すごく現実的で向き合える世界線だった。

なんなんだ、生のカバって。絶対、怖いと思う。熊の出没にビビってるのに、生のカバと対峙したら俺たちはどんな感情を抱くのだろうか? 娘を通して10年後のヒポポタマスを考えていきたい。あとアマゾン川の生のコリドラスも観てみたいんだよなぁ。これは10代からの自分にとっての小さな夢のひとつでもある。

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