徳谷柿次郎のクラフトインターネット日記

人生初の「青森県弘前」で二周目を感じる

仕事で青森県の弘前市へ。ネクストコモンズラボの白水さんに声をかけてもらって、偏愛をテーマにした書籍を作るプロジェクト『本の虫 公開編集会議』へ。先輩編集者の藤本智士さんも一緒だったので断る理由がない。しかも、弘前はずっと行きたかった土地のひとつだ。

信濃町を出たのは朝9時頃。長野駅前の駐車場は1日1200円ぐらいで、いつもどこに停めるか考えてしまう。最安は1日600円だが、人気で停められないことも多い。ギリギリで動いているため、目的の駐車場を外した場合のダメージはでかい。だからこそ人は駅前の平均値の駐車場に停める。ああだこうだ考えながら新幹線に乗り込んで、今度作るZINEの原稿に手をかける。よし、ぜんぜん捗らない。まぁ、こんなもんだ。

新青森駅に就いたのは14時40分頃。30分後に大事な仕事のオンラインプレゼンが控えていたので、Wi-Fi環境を確保できる落ち着いたカフェへ移動し、場違いのテンションと言葉遣いでペラペラとスライドをめくりながら喋り散らかす。手応えはなし。なぜならオンラインだからだ。伝えたいことは伝えたので満足。大移動の合間にプレゼンが挟まるなんて、改めて大変な仕事をしているなとも思えるし、隙間でプレゼンできる時代ってのもまたすばらしいのかもしれない。

駅で合流したのは先輩編集者の山尾さん。2012年から弘前に通っていて当初は1年間に50回以上出入りしていたそうだ。とてつもない頻度。仕事だったとはいえ、そこまでハマらせるなにかが弘前にはあるのだろう。そもそも今回の参戦も一週間前ぐらいにFacebookの投稿で気づいて「こんな楽しいことがあるなら参加します!」と車まで出してもらった。東京から来た山尾さんが、レンタカーで長野から来た自分を拾ってくれるというミラクル。車中の会話は特別なので、気持ちよく甘えさせてもらった。

さすがの弘前通。車中の約50分で銀河レベルの情報の粒が、耳に流れ込んできた。土地を見る解像度は仕事柄ある方だと思うので、断片的な事実と解釈を記憶の引き出しに放り込んでいく。ブラタモリのスピード学習版みたいなものだと思ってもらえたらいい。とにかく恐縮しながら、僭越しながら、山尾さんの弘前愛はノンストップ状態。なんとなく東北のシャイな気質(もちろん人それぞれだと思うが)を想像すると、よそものの山尾さんが”通い人”であることがまた熱量を生むのかもしれないなと思った。

宿は安定のドーミーイン。街を少し案内してもらった後にチェックインして、40分後に居酒屋へ向かう流れだった。普通ならここで荷物の整理をして、少し一息ついてエレベーターに乗り込むだろう。私は違う。ドーミーインの楽しみ方は、チェックイン後の風呂、寝る前の風呂、起床後の風呂というトリプル入浴を大事にしている。カラスの行水でも構わない。ささっと着替えて、10Fの大浴場へ直行。実に美しい佇まいなお風呂で、露天風呂の広さは全国トップレベルだった。

その理由のひとつに弘前市民が愛してやまない「岩木山」の存在がある。ベンチの先に岩木山が望めるようになっていて、そのために露天のスペースが広く取られている気もするし、単純に建物がでかいだけのような気もする。事前に山尾さんから聞いていた直後だったので、記憶の欠片を引きずり出して「なるほど。こういうことね」と少し納得できた。

予約してもらっていた居酒屋「鳥ふじ」へ。ネクストコモンズラボの二人と合流し、まずは4人で乾杯。生ビールがごくごくと喉を通って、片道7時間+プレゼンの疲れを労った。つきだしの千切り長芋とうずらのたまごでもう心を掴まれた。店内を見渡したら名店の香り。なぜなら吉田類の写真が飾ってあったからだ。

酒場放浪記の映像を一度も見たことはないが、地方行脚をしていると吉田類の経済貢献は半端じゃないなと思う。偉業の極み。焼き鳥を盛り合わせでもらって、ああだこうだと話し込む。肩の力が抜けていて、現代的な空気は1ミリも感じさせない。きっと昭和もこのままだったんだろうなと安心できる会話ができるのは、良い居酒屋のおかげだと信じている。

途中、タバコを吸うために外へ。良い会話ができているときこそ少し間を置くことで流れが変わるし、それまで遠慮して話していなかった人に光が当たる。この変数を作るためにタバコは存在しているのかもしれないが、本当に身体に悪いし、喉と肺が真っ黒になってチャコール人間として死にゆくから止めたほうがいいぞ!そうだそうだ!

2時間が経過して、そろそろお店を変えようと思ったタイミングで挑戦者現る。「函館から弘前って近い気がするので、雑に誘い出していいですか?」とやりとりしていたライターの阿部公平さんだ。実際、函館からなら2時間強だったが、直前の取材が岩手県。乗り換えも接続も悪い流れで、片道4時間半かけて弘前まで”ただ飲みに来た”。しかも、翌朝5時の始発で函館に戻ってPTAの集まりで焼き鳥を焼くらしい。「鳥ふじ」で焼き鳥を食べて、数時間後に子どもたちのために焼き鳥を焼く。なんという偶然と行動なんだろう。

遠慮しがちな世界線の生きている私たちは、この雑な誘いと過剰な行動を忘れてしまっているのかもしれない。「いいからきてくださいよ!」と強く口にできていたのはたった数年前のことだ。いまや「ぜんぜん来れたらでいいですし、家族の時間は大事です」がお誘いの出発点になっている。悪くはないが、おもしろくなりづらい。乗ったら乗ったでしんどいが、どうせ最後は死ぬだけなのである。

こんな極論に阿部さんを巻き込んで大変申し訳ないが、私と阿部さんはこういうコミュニケーションをいまだ維持できている。ギリギリのギリ。トントンのトン。赤字は黒字。言葉遊びと情熱を持ち寄れば、40代になってもまだまだおもしろい飲み会はいくらでも生まれる。台風のように発達していくのも大事だと思う。盛り上がっているうちに次の雑な誘いを放り込む。そこに日時と心を合わせに行く。なんかそういう根本的な気持ちを初日夜の一軒目で感じ入ってしまった。

これが弘前のパワーなのか?と文章を締めようと思ったのだが、二軒目のスナック「とまり木」でさらに大加速することになる。

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