徳谷柿次郎のクラフトインターネット日記

電気湯と京島と下町

墨田区・京島エリア。大久保くんの「電気湯」中心に新たなコミュニティとアートカルチャーの動きが連動していて、不思議な磁場が働いていた。初めて訪れたものの長く住んでいた三ノ輪が隣町の距離感だったが、川を挟んだ文化圏の流れはやはり山手へ向かってた気がしてならない。

なにをもって下町の暮らしやすさを指すのか。実はあまり言語化されていない気がしていて。分け隔てなく小さな厄介を許容しあう空気もあるし、大きな厄介に発展させない会話のコミュニティ技術もありそうだ。喫茶店ななで同席したじいちゃんばあちゃんは、とてもいい顔をしていた。ニコニコと髭面で声のでかい私たちの会話を楽しんでいたように思える。ラジオぐらいのテンションで。長屋のDIY精神。経済発展のやや外側。こち亀で触れた景色。何かがどかんと残っていて、これから猛スピードで失われていく切なさもある。

銭湯内で行われた出版イベントは、地声勝負のフリートーク90分。本作りのめんどくささと地域のめんどくささを土着的主観主義に置き換えて、「めんどくささを背負い続けるのが大人じゃない?」と無理やりまとめたものの、その余裕を失っている現代の構造に対する処方箋は残念ながら持ち合わせていない。浅野くんも大久保くんもめんどくささに向き合って楽しみもがいている。その場に若者が集まっていく。そして未熟なめんどくささが増える。みんなで会話を持ち寄り、小さく千切って見えないところに放り投げる。

「どうしたらいいですか?」

最近よく聞かれる。多くの選択肢を与えられてるのかもしれないが、ひとつに絞って信じてやり続けることが次の道筋に辿り着ける唯一の方法だと思う。山を登るときにそんなこと聞くやつはいない。とりあえず足を動かすか、疲れたら休むか、マジで無理そうなら家に帰るか。おまえの山頂はおまえにしか見えていない。そしてその山頂は職種でも会社名でも役割でもない。どう在りたいかだけだ。それくらい自分で考えておけよと思う。

ちなみにわたしの山頂はやばいジジイになることだ。やばいジジイ連合【YGU】を作って毎年温泉旅館に集まって「今年はあのやばいジジイが死んでしまった。だが、このやばさは受け継がれておる」とロマサガみたいな伝承を伝えていきたい。

【販売記録】
・A GUIDE TO SHINANO-MACHI×7冊
(KAMOS BOOKSで10冊卸)
・都市と路上の再編集 × 11冊

客数15人+身内でこれだけ本が動く。三島市からやってきた女性もいた。ありがたい。このリアリティは現場にしかない。いい本を作る。いいイベントを一緒に考える。めちゃめちゃおもしろいトークをする。参加者と仲良くなる。これを100回やれば2000部は売り切れる。こんな簡単な計算式ないと思う。マーケティングでもなんでもない。いいものを作るなんて誰でもやってる時代に、いい売り方を実践する編集者が生き残る。

コメントを残す