久しぶりに京都へ。そうだ、京都行こうなんてノリで行ける距離でもないし、そんな環境でもないものの、長野駅から敦賀駅まで延伸した北陸新幹線の存在はありがたい。
まずこれまでのルートだった特急しなのは揺れに揺れるクラシックスタイルな電車だったため、酔う人は酔うし、ほぼ電波は拾えない特徴がある。つまり、読書1本槍。これはこれで悪くないし、まわりが言うほど嫌いではなかった。
そこに新たに誕生した北陸新幹線ルートは、一日に2〜3回ぐらい片道3時間ちょいコースがある。これに合わせて動けば、これまでの特急しなのルートよりもざっくり1時間も早く到着できる。この革命のじわじわ感は長野に住んでいるからこその体験値なんじゃないかと思う。敦賀からのサンダーバード乗り換えは福井駅起点から考えると微妙らしいし、京都から福井までに余計な乗り換えが発生しているのはいかんともしがたい。
元々は2026年に京都まで一気に開通する予定だったが、京都側の地下水文脈での猛反対、さらにコロナ以降の資材建築費高騰によってどんどん後ろ倒れている。函館から札幌までの延伸もそうだし、いまの日本と社会情勢を鑑みると、田中角栄の日本列島改造論的なインフラ拡張の是非と経済効率はどんどん時代にそぐわないものになってきている。長野から京都まで移動時間が短くなるのは個人的に嬉しいものの、そこまで無理するものでもない気がしている。
ちなみに2031年着工、2046年度完成予定のニュースも出てくるが、仮に21年後だとしたら私はもう60歳を超えている。オーマイガすぎる。その年齢だからこそ楽しめる京都はいくらでもあるだろうなと希望は持ちつつも、なんとなくその頃には早く移動してなんぼの気持ちよさは減退している。いっそ金沢と敦賀あたりに足を伸ばしたほうがなんかおもしろそうだし。
あまりにも前置きが長くなってしまった。久しぶりの京都はインバウンド需要をもろに受けていて、どこにいってもグローバル。泊まっている御宿野乃は日本で一番多様な人種が裸になっている空間だと思う。アジア、ヨーロッパ、アメリカ、中東まで、みんな個性的な裸で日本的な温泉文化を楽しんでいるから、これはこれで観光資源なんじゃないかと思える。特にヨーロッパ圏の人はムキムキなバディで、スパルタンな出で立ちでとても羨ましい。みんな鍛えているからなのか? 生まれもっての遺伝子なのか?
地方のビジホでのんびりと過ごす贅沢を担保しながら、今回はまったく行き慣れていないシガーバーにチャレンジしてみた。いわゆる葉巻を燻らす一人の時間。過去何度か先輩や友だちと葉巻をぷかぷか吸ってみたものの、「貴族が考える嗜好品はようわからん」となってしまっていた。時間を贅沢に消費する……そのための葉巻であることはなんの異論もない。所作に貴族性があるのもわかるし、ゆっくりと煙を味わう品の良さも興味深い。
まさにシガーバーど真ん中の高級な空間で、天井はとても高く、葉巻の吸い方と所作に意識を向ければ、いわゆるぼーっとした時間が訪れるのは今回初めて理解できた。一歩、前進である。しかし、この先の一歩を踏み出せる気がしない。
一人が苦手だからなのか。誰かと話ながら時間を使えばいいのか。ついスマホを触ってしまいChatGPTに葉巻の歴史について質問をして、シーシャやキセルの文化との違いを聞いているうちに「日本の忙しい社会には、いっそ一服(1〜2分)を掘り下げたキセルのお店が必要なんじゃないか?」と結局の仕事脳になってしまったことは書き残しておきたい。刻みたばこをグッと肺に入れて、嗜好と思考を巡らすのはおもしろいんじゃないだろうか。
葉巻1本、お酒1杯、チョコレート盛り合わせで合計6600円ぐらい。1時間近く座っていてこの値段なのだから、ぜんぜん高くはないなと思う。隣では日本人と欧米か!な組み合わせで英語の商談をしていた。ほとんど何言ってるかわからないが、京都のシガーバーで世界経済の何かが動いている予感はしたし、貴族が生んだ葉巻の文化にハマれるかどうかでもしかしたら年収が変わるのかもしれない。そんな下衆で下世話な発想がついつい浮かんでしまう私にはまだ早かったのかもしれない。
一人で過ごす時間としてはとても良かったと思う。年齢的に一人で旅を楽しめるようになれたらいいなと、今回改めて考えるようになった。手持ち無沙汰よりも思考無沙汰みたいなところがある。
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