徳谷柿次郎のクラフトインターネット日記

年度末は本来休んでいる時期なんだけど

年明けの1月〜3月が嫌いだ。人類史でこの時期に過労働が生まれるのは資本主義と株式会社、行政的な仕事が集中する年度末案件のバグだと思っている。だって、みんなこの時期は休むものなんだよ。

車がある。暖房がある。労働がある。パソコン仕事がある。なんだっていいけれど、365日働ける環境を生んだことの産業革命は社会を前へ前へと推し進めた側面は認める。それでも、この時期にゆっくりと過ごすことを肯定しなければ、年中アドレナリンを出し続けなければなくなる。こんな難しいことはない。

土地にもよると思う。気候がよけりゃなんとでもなる。こちとら現在雪の民。気持ちはインナーに食い込み、晴れの少なさにセロトニンも不足する。やる気の貯金は3月にはからっけつになるのに、年度末案件はこの時期に多大な処理を強いる。ここの売上が重要になっている株式会社の性質は理解しているものの、なんでもかんでも一年で判断する線引きと翌年度という名の鈍い未来を押しつけないでほしい。

地球は何千年も何億年も、一年なんて区切りじゃ判断できない論理で動いている。四季はある。区切りはある。カレンダーの365日も、1週間も、24時間も、すべては人間を管理するために生まれたものだろう。そこにネガティブなものはない。強制的な圧が農耕や統治をよりよくするために働いて、そのエネルギーが民の幸福に繋がる世界は過去も未来もきっとあるだろう。

だがしかし、怒るでしかし。日本は春の気持ちよさですべてを忘却する自然に救われているけれども、そんなことで帳尻を勝手に合わせてもらっては困る。1月〜3月のネガティブな精神のクラッシュは必ず尾を引く。小さな感情のごみは春になっても、夏になっても、秋になっても残り続けるものだ。この感覚は記憶のレベルではない。細い糸のような違和感は、長い一生をかけて0.01mmのズレを大陸プレートのように生み続けてしまうのだ。

負のエネルギーはどこで逃がすのか。この時期だ。他者ではない、自己と向き合う時間すらお金に変えておれたちはメイクマネーを求める。そのお金に色気は宿るのか。その数字に感情は乗るのか。その結果に幸福は微笑んでくれるのか。甚だ疑問である。FUCK暦と年度末。全部ズレにズレてる。違和感を飲み込まず、一見合理的な仕組みに迎合せず、己のためにもっと時間と感情と経済を乗りこなしたいな と追っかけてきた降雪を長めながら強く強く思う。

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