徳谷柿次郎のクラフトインターネット日記

経営者の「能力」と「脳力」を考える

2025年が蠢き始めた。不安と期待が入り混じるなんてよく言うけれど、不安とわからなさが半々ぐらいな感覚なのが正直なところだ。

いかんせん雪の量が多いため、思考と体力の一部を除雪にもっていかれながら、微力すぎる子育てパートの環境変化も重なって一日があっという間に終わる。

勢いでPodcastを5つ立ち上げるぞ!と言いながらいろんな人とZOOMを使って雑談を増やす行為は、外部刺激として重要だなと改めて感じている。一周まわって山奥×雪国の環境にリモート環境の整備は心強い。

特に編集者同士の会話は同じ課題感を共有しやすいし、稀有な職能とエッセンシャルワーク的な泥臭い働き方になるため、会話が多岐にわたっておもしろい。スマートな知的労働ではない、人間と人間の間に入る感情労働の側面が強く発揮されて、脳がスパークする瞬間にみんなさらされているんだろうなと思う。

脳といえば40歳前半の立場として明確な脆さを感じている。なんていえばいいんだろうな。経験と知識は蓄えられて広がりは感じつつも、持ち前の発達的な特性が強くなっていて、感情の処理や情報のコントロール、経営者としての決断力みたいなものの揺れが以前よりも強くなっているのではないか。説なんてぬるいもんじゃない。恐ろしい体験知!!

俯瞰すれば「疲労」で片付けられるが、グッと堪えた耐久性のある判断みたいなものが蓄積されたダメージによって鈍化しているような……。なにかの本で脳の同じ領域に長年負荷をかけすぎると、突如として出来なくなることが増えるような表現があって、もしかしてここ10年の無茶で脳の何かがガタついてるんじゃないか?

築42年の建物として考えたら、そりゃガタつきもでるし、震度の高い心の揺れに耐えきれないのもまた中年の宿命なのかもしれない。

穏やかに、自分に最適な環境を選び取ったはずが、実はそもそもの性質と経営者の役割が相反するような違和感を覚え始めているのもまた事実。経営者としての能力は培っているものの、その能力を発揮して支えるための「脳力」の出力パターンが変わってきているのは間違いない。

めちゃめちゃざっくりした対処法は「きっと脳に合ったお薬ちょうだい」なのである。ADHD/ASDの特性が強くなっていると仮定したら、これはなかなか厄介な変化といえるし、うまく乗りこなさないといけない。感情の波は突如として荒々しくなることもある。無理した役割を演じる癖がついていて、その仮面がパリーンと割れたらおしまい。いや、本来の自分の顔がそこにあるだけかもしれないか。

とにかく脳がやばい気がしていることを書き残しておきたい。

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