徳谷柿次郎のクラフトインターネット日記

2024年のクラフトインターネット日記を振り返る

今年1月に小倉ヒラクくんとの雑談から生まれた謎概念「クラフトインターネット」。この言葉で勝負するぞ!と思ってZINEの制作を進めていたにも関わらず、春先からの恒例出張&イベント地獄で途絶えてしまった。

いや、まだ諦めてはいないけれど、そもそものクラフト的な空気感が少し萎んだ印象すら持っている。虎視眈々と粛々と手触りのある生活や制作に挑む人たちは変わらずいるんだけど、世の空気が悪い方向にどんどん進んでいる気がしてならない。インターネットの役割がどうこうよりも、リアル社会の厳しさが際立ったことによる”心の揺れ”がぐわんぐわんと音を立てて足元を脅かす感覚が近い。

SNSの役割もなんか違う。使っているものの一方的な感情のはけ口になっていて、いくらmixi2が登場してもアクティブ&ポジティブなやりとりが生まれづらい時代なんだなと心底思った。メタ認知と客観性を磨いて自己防衛本能を高めた人たちによる発信だけでは、うまく機能しない何かがインターネットにあるのだろう。

むしろ、面白い書籍の存在感がよりグッと増した一年だったように思うし、特定少数の誰かに向けた私語りのエッセイや短歌といったZINEに表現の場が移っているのもひとつの現象といえる。クラフトインターネットどころか本来のアナログが秘める魔力に逆流しているのは、とても真っ当な動きだ。

さて、そんな社会背景の解釈を垂れつつも、私は変わらずこの場をこのクラフトインターネット日記とやらを続ける気満々だ。

更新するための手間暇を極力削減して、脳から送られた電気信号を指先に伝えて、キーボードを叩いた溢れ出る言葉で文章を綴る……読みは当たっていたようで寝る前の20分でさっと書き散らすスタイルが功を奏した。ざっと今年だけで約40本の日記みたいなものが生まれたのである。

そしてnoteを書く頻度は激減した。あまり使い分けは考えていないが、仕事の報告関連は引き続きnoteを利用しつつ、STUDIOの会社HPの月初日記で思想を撒き散らす方針だ。その点でいえば、各メディア上でそれぞれちゃんと書き続けたのは割と偉いと思う。

口酸っぱく「社員ブログ書いてね」と言っても手を動かしたのは、新卒のふろめぐみだけだった。ほかのスタッフは地蔵みたいに動きやしない。仕事の責任感とプレッシャーがないと書けない人間がこの世の9割を締めてるんじゃないかと訝しんでしまう。

そもそも自分の頭にある感情を文章に置き換える行為自体がどうやら敷居の高い行為らしく、それを不特定多数の人に向けて書く自意識にも耐えられないそうだ。だったら誰にも見せない日記でOK。それもまた良しだが、自己開示のS級妖怪になってしまった私には全く理解ができない。

書いて書いて書いて、表現して表現して表現して、伝えて伝えて伝えて……それがエディットエディットエディトリアルデデデデデデモクラシーなんじゃないのか? 

なんの制限もなく、誰の赤字も受けることなく、わかりやすさに迎合しないで好き勝手に文章を書く。ダッシュボードのアクセス解析を眺めたら年間約3万PVぐらいだった。1記事あたり平均数百PVでしかない。それも右肩下がりで数値が落ちてる気もするけれど、そんなの気にしてたら書いてられない。

いつかまとめてZINEにすることを考えたらあまり読まれてないぐらいがちょうどいいし、混迷を極めるインターネットの荒海を乗り越えて数十人が読んでくれるだけで十分だろう。基本、誰も読んでいないと思って書く。ふとした拍子に感想が届く。20年前のインターネットもそんな感じだった。

おれがマイティー・ソーだったら、バズの仕組みと言葉を考えて一番大事な基準にした人間に雷土を落としたい。プラットフォームの利便性を高めれば高めるほどに何かが失われている。その恩恵を右手でがっちり握手しながらも、左手のハンマーでスマートフォンをぶっ壊そう。きっと来年も同じことを考えている。そこに生成AIがどう関わってくるのか。カオスの世界におもしろさを見出だせる人間として、来年もなんやかんや楽しみなんだなと大晦日に赤子を抱えながら思う。

大自然は目の前にある。世界がどう変わろうとも、土と水の偉大さは変わらない。むしろもっと高まり続ける。ようやく手にしたこの環境のおもしろさを我が子に伝えるルートが見えているだけで、ほとんどのことはどうとでもなるし、どうでもいいとも理解できるようになった。脱力からの一踏ん張り。まだまだ自分の人生における主人公から降りるつもりはない。レベルアップの鐘を鳴らすのは何歳になっても気持ちいい。

※noteでの振り返り

※会社HPでの振り返り

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