最近、ここぞとばかりに映画を観ている。
本当は映画館で楽しみたいところだが、冬になってきて”朝は寒くて起きれない&日が落ちるのが早い問題”に負けている。追い打ちをかけるように犬の散歩タイムも限られてくるし、長野市の映画館は上映本数が少なすぎる。
つまり、映画館の時間に合わせてる暇がねぇぇ!ってことである。
田舎の民にとってサブスク映画鑑賞はとてもありがたい。偏ったアルゴリズムと損したくないマインドで辟易する瞬間もあるが、過去の話題作を夜な夜な観ることができるのは革命といっていいだろう。
ここ10日で観た映画は…
・コーダあいのうた
・碁盤斬り
・オットーという男
・あんのこと
どれもおもしろかった。碁盤斬りはやや物足りなさはあったが、残り3本は名作級。何もかも細切れで、コンテンツに没入することが難しい時代だからこそ、映画を観終えた満足感と贅沢さは年々増しているし、そもそも面白い作品がどんどん世に送り出されている。業界の意地、時代を捉えた次世代の台頭、テクノロジーの進化などなど、理由を考え出すと枚挙にいとまがない。めっちゃ最高なのは確かだ。
一方、思考をミンチみたいに潰して、脳に小さなダメージと肩こりを与え続けるスマートフォン主体のインターネットはどんどん退行しているといっていい。無秩序で幼稚。私自身は便所の落書きから心の機微を読み取るのは大好きだし、スマホゾンビとしての開き直りも持ち合わせている。心が動くことはほぼない。
むしろこうやって独自ブログで文章を書き溜めている時間が、以前よりも淡い光を放ってきている。眩しいことは絶対にない。朝日が上る前の段々と世の中が動き出すぐらいのもの。打てば打つほど、磨けば磨くほど、どんな散文であっても、ジョギングにも似た達成感、そして「なにか書くぞ」と決め事から発生する没頭が生まれるのだ。
インターネット空間には、地球の砂粒に匹敵する情報量が流れているそうだ。しかも、とんでもないスピードで。にも関わらず現代人はスローな時間軸に憧れているし、ネット回線が使えない環境に価値を見出す人もいる。その奥底には時間と情報を消費し、無味乾燥な感情に引っ張られた己の怠惰さを映しているんじゃないだろうか。
手段はなんでもいいから、つくる側にまわるのが吉。プラットフォームによりかからないこのクラフトインターネットとやらも、世の中に抵抗するひとつのつくる手段であり、没頭できる所作のひとつだ。みんな文字だけを書こう。画像を選んでいる場合じゃない。ほかのブラウザを開くな。いまここに集中することが一番の贅沢だ。
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