徳谷柿次郎のクラフトインターネット日記

40代は「スジ」を軽やかに外していこう

人生スジまみれとはよく言ったもので、人間関係の反射神経を鍛えれば鍛えるほどにスジが生まれていく。スジはカチカチに固い性質を持っていて、長時間煮込まなければ食えたものではない。

ある日、神経をすり減らすようなスジ対応が連続して起こったことがある。仕事のスジもあれば、先輩とのスジもあるし、時には部下の尻拭いのためのスジも発生してしまう。

もちろん疲弊するし、その対応に翻弄されているときのストレスは、皮肉にもタバコを美味しく感じてしまうきっかけにもなる。サウナも同様に気持ちよくなるのが、スジの中毒性なのかもしれない。

しかし、精神が削られると体力も回復しなくなる。日々の業務に深夜までの酒盛り。自ら選択したはずのルート開拓も、複数のスジが絡んでしまうと全部捨ててしまいたくなるのだ。だって人間だもの。人間が生んだスジなんだもの。気が狂うように冷たいコンクリートの床でのたうちまわりながら、魂の叫びが店内に響き渡った。

「人間の持てるスジは三本まで〜〜〜〜!」

なぜかこの言葉をよく思い返す。決して若くない年齢から「なんでもやるッス!」の精神であらゆる事象と向き合ってきた。

感情のゲロすくいはお手の物。地方の難解な課題や人間力を問われる社会課題、そして資本主義領域におけるビジネスの苦悩まで。ここで向き合ってきたからこそ今があるのだ。これは稚内で出会った名横綱・大鵬の名言「ここで降りたがために、今がある」にインスパイアされている。みんな稚内の博物館に行ってみてほしい。人生なにがあるかわからんのよ。

祈りにも似た気持ちでこれまで向き合ってきたが、もう限界だ。他者のために人生を生きている場合ではない。手を取り合う関係性の協力プレイは、人生ロールプレイングゲームの醍醐味であることは理解しているが、スジを多く抱えてしまって大事な時間が溶けていくのは耐え難いのである。だって人間にはなにもない土日の時間が必要なんだもの。その土日で洗濯したり、掃除したり、料理したりしないと暮らしが腐るんだよ。

だからこそ40代は軽やかにスジを外していきたい。あらゆる役割は代わりがきくし、その機会が次の誰かを輝かせるものだと、きっとどこかの偉いさんが言っているだろう。手放したスジの分だけ、新しいスジが手に入る。もしかしたらスジは新陳代謝することが、本来の役割なのかもしれない。

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