徳谷柿次郎のクラフトインターネット日記

ローカル取材で生まれる「返礼」の意識

 一般的にインタビュー取材は、会議室や喫茶店で1時間ぐらい話すイメージが強い。実際、東京の編集プロダクションで修行をしていた若手時代はそういった取材が多かった。相手は威厳をまとった企業の社長だったり、事実を淡々と伝える広報担当だったり、時には芸能人やアーティストの場合もあったり。この世に存在するすべての人にアクセスできるのがインタビューという”相手の話を聞き出して、文章に落とし込む”仕事の特性かもしれない。

 そもそも誰に聞くのか。何を聞くのか。どんな対象者にその言葉を届けたいのか。いわゆるライター編集の肝は、この前提条件をおもしろく作り上げることにある。事実と客観を行き来し、具体と抽象を意図的に操る。振れ幅が大きければ大きいほどに「どういうことだろう?」と好奇心をくすぐる仕立てにもなるし、ありのままをそのまま伝えることでニュース的なファクトを集めることもできる。スタイルはバラバラ。媒体と編集方針、さらに個人の捉え方や関わるチームによって笑っちゃうぐらいに異なるのが、この仕事の醍醐味かもしれない。

 気づけばHuuuuの代名詞にもなっている「ローカル取材」は、その前提がガラガラと崩れてしまう予測不可能な現場が多い。さっきの方法論とは真逆で、「どの土地に行くのか」→「その土地で誰に会うのか」→「その場で何を聞くのか」→「聞き集めた素材で何を作るのか」といった塩梅だ。いわゆる台割や想定質問はない。フリースタイルな編集方針が生まれた理由は、例えば「まだ淡路島に行ったことがないからとりあえず行ってみよう」の勢いで取材する土地とチームを決めてから、現地でネタを集めることが多いからだ。

 もちろん事前リサーチはするものの、SEO業者が汚しまくったインターネットの大海原はあまりにも”既知”の情報が上位表示されているのが関の山。まともなメディアに載っているネタは、言い方を変えれば手垢のついたものだともいえる。ここは天の邪鬼精神というか、カウンターカルチャーの姿勢が染み付いているせいというか。誰かの名前が書かれたボールを拾い上げて、「僕が見つけました!」とは言えない性分なのだ。この第一発見者の気持ちを純度高く持ちたいのなら、心と身体を行きたい土地に放り込んだが早い。これこそ旅のおもしろさじゃないだろうか?

 また、同じように全国行脚で宝物を探しに行く先輩や友だちからの誘いも多い。ローカル取材の大先輩・藤本智士さんや発酵デザイナーとして活躍する小倉ヒラクくん、サーキュラーエコノミーの実践者である安居昭博さんなど、アウトプットは違えど似たような感覚で現地に飛び込むタイプの旅仲間だと思っている。

 1年に1回は旅先で合流し、未知との遭遇を分かち合っている。この特殊な動きは、世界中で同時多発的に起きていると見て間違いない。だが、この現場の価値は共に同行しないと見えてこないだろう。彼らが飛び込む先には、好奇心の龍が丹田から脳天まで昇り上がるような出会いが必ずあるのだ。鳥肌では止まらない。喜怒哀楽の感情では処理できない。「み、み、見つけたー!」と思わず指差してしまうような興奮を得るのは、相手には失礼すぎるけれども”お宝”に見えているのかもしれない。

 飛びきりの取材対象者は往々にして話好きが多い。捉えている事象と向き合っている現実の総量があまりにも大きいため、メタ的な認知から具体の実践まで振れ幅がエグい。農業だったら在来種のタネの話からファミレスのオペレーションまで展開するし、牛飼いだったら肉の赤みと脂肪分のサシの話から電話ひとつで通販できる干し草の飼料まで広がる。一見、ここに共通項はなさそうだが、2時間、3時間とじっくり耳を傾けていけばすべてが繋がってしまうのだ。

 断片的な知識をぶつけられると人間は「ん?どういうこと?」と、わからないがどんどん増えるが、点と点が線となって結びついたときに脳内シナプスが駆け巡るのだろう。さらに全然関係のないテーマを取材しているときに「あ、これとこれも全部同じ構造になっているのか!」と、線と線がサークル状に繋がっていけば面となる。面を増やせば立方体のような知識構造が頭の中に建設されて、好奇心の源泉が湧き続けるスーパー取材人間の完成!

 これらのレジェンドおじさんたちは、周囲から1ミリも理解されない環境であっても自分を信じた道を突き進む。10年どころの話ではない。20年、30年、40年…と仮説検証を繰り返し、小さな結果から大きな反響を生み続けるまでの過程は、他者がどれだけ慮っても想像できるものではないと思う。

 ジモコロの取材でもたった2〜3時間。場合によっては夜の飲み会まで一緒になって、人間と人間の付き合いを一期一会で向き合う。それでも足りない。ぜんぜん足りない。わからないの膨大な欠片をパンパンに詰め込んで、旅路を終えて帰路に着く。文字起こしをして、原稿に落とし込み、タイトルからリード文、写真のセレクト、デザイン的な表現とお笑い的な間を施して、取材した記事は早くても1ヶ月以上の月日を経て世に公開されている。全部はわからないけれども、自分なりに解釈した驚きと発見をありのまま伝えているつもりだが、それでも”何十年も積み上げた誰かの人生にズカズカと入り込んで、たった2時間の取材でその人の人生を語り継ぐなんて、なんておこがましい行為なのだろう”とマジで思っている。軽薄に近づいて懐に入っても、原稿を公開したときには尊敬の念がありありと生まれてくるのは、”感謝”の二文字に尽きてしまう。

 最初の数年は取材記事を月10本以上作ってきたジモコロ。現在は会社全体でいえば20本以上の取材記事を制作している。その大半がローカルであり、実践者たちの言葉だ。そのおかげでメシを食っている。会社として売上を立てて、社員やアルバイトを雇用し、給料を払って、税金を立派に収められているのは、ありとあらゆる実践者たちの人生のおかげでしかない…この強烈な事実を強く噛み締めなければない。当たり前じゃねーんだから。ヘラヘラして地方の人たちを自分都合で取材して、勝手に歪んだ解釈を加えて、クソしょーもないアウトプットをしている広告やコンサルの人間がいたら三沢光晴のエルボーを与えてやりたい。

 いま東京の会社からいただいた売上は、移り住んだ長野に極力還元しようとしている。中央集権で気づいたら生まれてしまうお金の循環、ささやかな抵抗として流れを変えたい。そのひとつが4年間赤字続きでも運営を続けている『シンカイ』というお店だったり、オフィスコミュニティとして格安でメンバーシップを提供している『MADO』だったりする。あと取材先含めて、旅先ではめっちゃモノを買う。ダンボールで2箱ぐらい詰め込んで自宅に送ることすらある。おいしい料理やお酒もたらふく楽しむようにしているし、若者がいたら遠慮なくどんどん奢るようにもしている。

 これらの行いは自分なりの”ローカルへの返礼”である。いただいたものを返す態度の話だ。外には伝わっていないかもしれないし、取材を受けてくれた当事者はそんなことすら考えていないかもしれない。それでも、それでもだ。まず取材はおこがましい行為であることを自覚し、微力ながらその記事が社会や教育をより良くする第一歩であれば嬉しいし、読者に行動変容を促してあわよくば惚れ込んだ取材対象者に会いに行ってほしい。「ジモコロの取材を受けてよかったな」と少しでも思ってもらえたら百点満点だ。

 予定調和を超えたとびきりの取材。インターネットの大海原に投げ込み続けることで生まれる大きな波紋。7年間の編集長業務を続けてきていて、全国の若者たちに好奇心の芽が広がっている気がしてならない。自分自身が一番成長させてもらっているお仕事だからこそ、返礼の態度は忘れずに生きていきたいと思う。

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