なぜ、人は孤独を持ち込むのか?
人が集まるお店やコミュニティを始めると、どうしても難しい問題にぶつかってしまう。それは”安いお金で人生の孤独を持ち込む人”との対峙だ。家族や会社など、時代の変化によって構造がゆるやかに壊れ続けている。豊かな暮らしの定義とは一体なんなんだろうか?と自問自答する人も多いだろう。
歴史的にすべてが完璧に揃っている時代なんて皆無だとは思うが、現代社会の機能は、より外へ外へと人間の求めるサービスが生まれている気がしてならない。オンラインサロンはその象徴といえるだろう。是非は置いといて、安い対価を支払って個人の孤独を埋めようとするタイプはどこにだって存在する。
スナックやキャバクラ、ホストクラブなどのサービスは、対価と信頼の中で孤独を埋める装置として高い需要がある。スナックは土地の信頼を糧にした居場所として機能し、キャバクラやホストクラブは振る舞いはどうあれ高い対価を払うほどに扱いが良くなる。似ているようで似ていない。ただ、どちらも日々の生活や仕事のストレスを抱えた現代人の選択肢として需要があるから生まれているものだと思う。
ただし、ここ10年で誕生したローカルのコミュニティ寄りの場所は、運営側の視点で向き合ったときに悪意なき寂しさがどうしても混ざり込んでしまう。せちがらい世の中だから…。小売を介した店舗であれば、商品を「買う/買わない」が経済行動の基準。その選択肢は消費者側に委ねられているのでなんの問題もないが、寂しさを抱えて顔馴染みのように通ってくれるお客の中には男性性をこじらせたトラブルも絶えないとよく耳にする。店主やスタッフが女性であればなおさらだろう。
この現象自体を勝手に決めつけて「悪いことだ」と非難する気は毛頭ない。だが、その現象に悩まされてしまう側面は事実としてある。4年運営している長野市の店舗『シンカイ』でも感じていることだ。社会構造として生まれやすくなっていて、ただでさえ人口減と経済消費の落ち込みで経営が難しいローカルコミュニティの在り方を考えたら、切っても切れない現象なんだよなぁ…。
たとえば、女性店主に対しての男性からの積極的なアピールがあったとする。コンビニやファミリーレストランでも同様のことは起こり得るだろう。そのときに個人で解決するのか。会社として解決するのか。関わる人間の母数によっても対応は変わってくる。常連であったとしても度の過ぎた行動は迷惑極まりないし、その店の経済活動に貢献してもらってる以上はなかなかストレートに物言いを伝えるのも躊躇われるだろう。
この現象が個人オーナーの店主かつ、地域に根ざした活動をしていて、寂しさを持ち込む人がそれなりに認知されていた存在だったら? 想像をするだけでややこしい。相手には「逆上」のカードが用意されていて、その恐怖におびえて愛想笑いを浮かべたままの時間がどんどん奪われてしまう。
開いた場所が抱えるリスクと闘い
これはセクシャリティに紐付いた行動だけでなく、ビジネスシーンにおいても発生するものの、曖昧な領域でお店やコミュニティを”開いた場所”にするうえで闘わなければいけない問題なのだ。なんにだって置き換えられる。同質性と監視と信頼を担保にした”村のコミュニティ”ではなく、異質性と不特定多数と経済性を担保にした”街のコミュニティ”でこそ生まれやすいのではないか。
私の場合は、ここにデザインと言葉の結界ともいえる「境界線」をつくることにしている。わかりやすければ、わかりやすいほどに人は入りやすくなるため、あえてわかりにくいコンセプトを埋め込むのもその理由だ。そのほうがお互いのためである。
『シンカイ』は築120年の古民家で、町のシンボルとして機能するぐらい独特な佇まいがある。昔から掲げている『シンカイ金物店』の看板がドーンと目立っていて、入り口にはオレンジ色の暖簾がひらひらとはためいていて。左から「編集」「イベント」「洋服」「本」「衣食住」「風土」と文字面が並ぶ。
一体なんのお店なのか。一見さんには皆目検討がつかないだろう。だが、それでいいと思ってデザインと言葉を散りばめた。古民家活用のわかりやすさを突き詰めたひとつの正解は、誰でも機能を理解できる「カフェ・喫茶店」だと思うが、サービスの色を出した途端に運営コストが跳ね上がるから躊躇してしまう。
あくまで『シンカイ』は編集の実践の場であり、長野という土地に馴染むための365日在り続ける広告的な意味合いもある。取材先で出会ったすばらしい商品を仕入れて、ライター編集の記号的かつ理解されがたい役割を突破しなければ、次の関係性を構築することが難しい事情もあった。
経済活動の主軸をあえてズラす。副次的な見えない利益を生むことで『シンカイ』は、持続的なコミュニティの存在意義を高めるのが目的だ。もちろん、わかりにくいコンセプトは利益が生まれにくい。
これまで長野に縁ある若者たちに場を提供し、スタッフとしても働いてもらってきたが、曖昧な境界線の中で「どうやったら利益が出るんだろう?」の沼に落ちてしまう。
だが、それでいいと私は身勝手ながら開き直っている。だって家賃は月3万円だもの。人件費を入れても毎月5〜10万円の赤字に過ぎないし、全国のあらゆる人との関係性を編集できる装置として考えれば、自動車のガソリン代みたいなものだ。やらないより、やったほうがいい。無理をしすぎず、仲間を集めて、同じ悩みをチームで共有し続けることの価値は計り知れない。
さじ加減のむずかしいコワーキング問題
2022年1月に新たなコンセプトのコミュニティオフィス『MADO/窓』を立ち上げた。最初は「自宅で作業するのはもう飽きた。オフィスに通うための15分、30分の時間が人間性を生んでくれるし、予期せぬ町の価値に出会えるはずだ」とオフィス用の物件探しを始めた。
いくら長野市であっても路面店のテナントは家賃が高い。かといって夏は熱くて、冬は寒すぎる信州の古民家はもう懲り懲り…。そこで自宅やシンカイを仲介してくれた馴染みの不動産屋さんに声をかけられたのが、善光寺の表参道から脇道を少しそれた場所にデーンと構える元NTTのビルだった。
1階には移住相談センター的な機能が設けられて、家主不在が大繁殖している空き家問題を解決するためのコンセプトが詰め込まれていた。まちづくりに関心のある大学生と引退した大工をマッチングして、現場で回収した古道具を直したり、リノベーション作業を共にしたりなど、私が兼ねてから理想としている”ナナメの関係性”が生まれそうな場所だったのだ。
これはおもしろい。あと家賃が比較的安い。2階にある40平米ほどのスペースを気に入って、「ここをHuuuu初の本社にしよう!」とほぼ即決で借りることにした。こういうのは勢いが大事だし、信頼関係で得た情報筋は往々にして相場より条件がいいことを知っていたからだ。
気がかりだったのが隣の20平米ほどのスペース。きっと知らないオフィスが入るんだろうけど、建物の構造的に近所付き合いの密接度があまりに高いことを懸念していた。扉を挟んだお隣さんの物件もおさえてしまう。
スペースはあればあるほどに想像力が拡張されることも、過去のまちづくり取材でエッセンスを理解していた。よし、こっちも借りよう。「隣はコワーキングスペース的な場所にして、元の家賃を半分でも賄えたらいいじゃない!」と、本能的な「あったらいいな」の確信が半分とノリ半分で生まれたのが『MADO/窓』なのである。
場所の在り方として最初に考えたのは「あくまでHuuuuのオフィスが主体であること」「週2〜3回ぐらい顔を出して作業したいクリエイターを集めたい」「人生の孤独を持ち込まずに、前向きな関係性をつくれる人が理想」の3つ。金額は月6000円が妥当だと思って設定した。
サービスとして提供するコワーキングスペースの難しさは各所利用をしたり、取材の過程でも教えてもらったりしていたから、コンセプトに至るまでの葛藤はあまりなかったように思う。そもそもオフィスの面積的にビジネス的な採算は取れないことがわかっているし、空いているスペースを有効活用して会社そのものにお金以外の利益を還元したほうが良い。そしてここでも”人生の孤独を持ち込ませない結界づくり”を利用規約に埋め込んだ。
「座右の銘:おれもやるからおまえもやれ」
なぜ、コワーキングスペースに座右の銘を入れているのか。ここだけで違和感を生んでいて、バイブスの合う会員の人は「めっちゃいいですね」とおもしろがってくれることがわかった。
逆にバイブスの合わない人は「え、これどういう意味ですか?」のクエスチョンに対して「オーナーの柿次郎が好きなラッパーの言葉です」と面談で答えたら「へー…そうなんですね…」とまったくピンとこない反応を見せる。もちろんこれだけですべてを判断するわけではないが、シンカイ同様に散りばめられたデザインと言葉には意味があって、主体的に反応できるかどうかはひとつの判断材料になりえるのだ。
都内含めて良いクリエイターを集めて、持続的な場の価値を生んでいるコワーキングは必ずといっていいほど面接が用意されている。ここにサービスとして会員を増やし、経済合理性を目指せばそれでいいや、との差が生まれるのではないか。
ローカルの小さなオフィスでたった月6000円を支払って、仮に人生の孤独を埋めにくる人がいたら? さらにセクシャリティの動機をもって女性スタッフに接してきたとしたら? 働くモチベーションもパフォーマンスも下がるのは明白。コミュニティという名の湖に一滴の毒を垂らしてしまったら、その汚染はゆるやかにほかの誰かに悪い影響を与えてしまう。時既に遅しの現象を食い止めるのもまた編集の仕事なんじゃないかと考えている。
もう一個あえて言いたいのは「内装リノベーションに300万円以上かけて、月10万強の家賃光熱費を払った自社オフィスに孤独をもちこまれたら、たまったもんじゃねぇ!人生の孤独はてめぇで処理しろ!もしくは高い対価を払ったサービスで解決しろ!」である。
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